私の母は、いつも控えめで、人に迷惑をかけることを何よりも嫌う人でした。「私が死んだら、子供たちにだけは面倒をかけたくないからね」。それが、母が時折寂しそうに、しかし強い意志を込めて口にする言葉でした。そんな母も七十歳を過ぎ、私は漠然とした不安を感じるようになりました。いつか必ず訪れる「その時」に、私たちは母の想いに応えることができるだろうか。特に気がかりだったのは、費用のことでした。葬儀には大きなお金がかかる。私たち兄弟にその負担が重くのしかかるのではないか。そんな時、偶然目にしたのが葬儀互助会のパンフレットでした。正直なところ、最初は死後の準備なんて縁起でもないと感じ、目を背けたい気持ちでした。しかし、その仕組みを読み解くうちに、これは単なるお金の問題ではなく、母の「迷惑をかけたくない」という想いを形にするための、最も優しい方法なのではないかと考えるようになったのです。私が惹かれたのは、月々わずかな負担で始められる手軽さと、いざという時に電話一本で専門家がすべてを導いてくれるという安心感でした。悲しみで頭が真っ白になっているであろう私たちを、道に迷わせることなく、支えてくれる。それこそが、母が心から望んでいることだと思いました。母にこの話を持ちかけると、最初は少し驚いた顔をしていましたが、すぐに「そうかい。あんたがそう考えてくれるなら、それが一番安心だ」と、穏やかに微笑んでくれました。契約の日、母と二人で担当の方から説明を受けながら、私たちは不思議と晴れやかな気持ちでした。それは、母の人生のエンディングを、誰かに任せるのではなく、母と私たちが一緒に、前向きに準備しているという実感があったからかもしれません。互助会への加入は、単なる金銭的な備えではありませんでした。それは、遺す側と遺される側が、互いを思いやる気持ちを静かに確かめ合う、温かい対話の時間だったのです。
私が親のために互助会を選んだ理由