父に院居士を授けた日、家族の感謝を形にした選択
父が旅立ったのは、秋風が心地よい、晴れた日のことでした。一代で小さな町工場を大きな会社に育て上げ、地域の名士として誰からも慕われていた父。その口癖は「人様のお役に立ててこそ、生かされている意味がある」でした。葬儀を終え、菩提寺の住職様と戒名の相談をした時、私の頭には自然と「父にふさわしい、最高の名前を贈りたい」という想いが浮かんでいました。住職様は、父が生前、寺の改修に率先して寄進してくれたことや、地域の子供たちのために財団を作って支援していたことなどを静かに語られ、「〇〇さんのお人柄とご功績を考えますと、院居士の戒名がふさわしいかと存じます」と提案してくださいました。院居士という言葉の意味を詳しく伺い、それが父の生き様そのものを表す称号であると知った時、私と母、弟の意見はすぐに一致しました。もちろん、それ相応のお布施が必要であることも理解していました。しかし、その金額は、父が私たち家族に残してくれた有形無形の財産や、生涯をかけて社会に注いだ愛情の大きさに比べれば、決して大きなものではありませんでした。むしろ、私たち家族にできる、父への最後の、そして最大の感謝の表現だと感じられたのです。戒名を授かり、「〇〇院△△□□居士」という立派な白木の位牌を目にした時、涙が溢れました。それは単なる名前ではありません。父が懸命に生きた証、そして私たちが父をどれほど誇りに思っているかの証そのものでした。この戒名は、これからもずっと、私たち家族の心の支えとなり、父の教えを後世に伝えていく道標となってくれることでしょう。