私の祖母は、向日葵のようにいつも太陽の方を向いている人でした。豪快な笑い声は家の隅々まで響き渡り、どんな時でも周りを明るく照らす存在でした。そんな祖母が静かに旅立った時、私たち家族は深い悲しみに包まれましたが、同時に一つの共通の想いを抱いていました。それは、涙とすすり泣きだけの湿っぽいお葬式は、あの笑顔の祖母には絶対に似合わない、ということでした。私たちは、葬儀社の担当者の方と何度も話し合い、祖母らしい温かいお別れの会にすることを決めました。もちろん、親戚の中には「葬儀は厳粛に行うべきだ」という慎重な意見もありました。しかし、私たちは祖母がどれほど明るい場が好きだったか、その人柄を丁寧に説明し、理解を求めました。葬儀当日、会場の扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、白や黄色の菊ではなく、祖母が大好きだった色とりどりのガーベラで埋め尽くされた、まるで花畑のような祭壇でした。遺影の周りには、祖母が趣味で作った愛らしい押し絵の作品が、小さなギャラリーのように飾られています。そして、会場に静かに流れていたのは、厳かなお経ではなく、祖母がいつも台所で鼻歌交じりに歌っていた古い歌謡曲のピアノアレンジでした。告別式では、形式的な弔辞の代わりに、親族や友人が代わるがわるマイクを握り、祖母との思い出話を語り始めました。失敗談や面白いエピソードが披露されるたび、会場からはすすり泣きと共に、くすくすという温かい笑い声が何度も起こりました。それは、まるで祖母の生前の姿が、そこにあるかのような光景でした。もちろん、涙が止まらない瞬間もたくさんありました。しかし、その涙は、ただ悲しいだけのものではありませんでした。祖母と出会えたことへの感謝、そして、こんなにも多くの人に愛された祖母への誇りに満ちた、温かい涙でした。葬儀が終わり、会場を後にする時、私の心には不思議なほどの光が灯っていました。それは、祖母が最後に私たちに残してくれた、人生の喜びという名の「ディライト」だったのかもしれません。