暦の迷信はいつから始まったのか
葬儀の日程に絶大な影響力を持つ「友引」。この慣習は、一体いつから、どのようにして始まったのでしょうか。その歴史を紐解くと、仏教の教えとは無関係な、言葉の解釈の変遷が見えてきます。友引を含む「六曜」の起源は、古代中国に遡ると言われています。三国時代の軍師、諸葛孔明が戦の吉凶を占うために作り出したという説もありますが、定かではありません。日本には鎌倉時代から室町時代にかけて伝わり、江戸時代の末期頃から、民間の暦に印刷されるようになって、庶民の間に広く普及しました。しかし、伝わった当初の「友引」は、現在とは全く違う意味を持っていました。もともとは「共引」と書き、「共に引き分ける」、つまり勝負がつかない日、良くも悪くもない日とされていました。それが、いつしか「友」の字が当てられるようになり、「友を引く」という語呂合わせから、お祝い事には「友を幸せに引き込む」として吉日、葬儀には「友を冥土に引き込む」として凶日、と解釈されるようになったのです。この迷信が全国的に広まったのは、比較的新しく、明治時代以降のことと言われています。火葬の普及と、印刷技術の発達による暦の普及が、この迷信を人々の生活に定着させる大きな要因となりました。非常に興味深いのは、浄土真宗のように、仏教の教えと相容れない迷信を明確に否定している宗派であっても、現実問題として、檀家の人々が友引を避けるため、葬儀の日程をずらさざるを得ないという状況があることです。これは、友引という暦の慣習が、もはや宗教の枠を超えた、日本の社会文化そのものになっていることの証左と言えるでしょう。